ムーンライトながら 豊橋駅
2010/05/15 04:32, Posted in Panorama, 東海エリア by s.sakai – 2 Comments定期列車で走っていた頃の「ムーンライトながら」。まだ月明かりの4時過ぎに豊橋駅で50分超の長時間停車。乗客たちは夢の中、静まり返ったプラットホーム。2009年1月撮影。

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現在、東京〜大垣間を結ぶ「ムーンライトながら」は臨時列車で、下り列車は豊橋駅が通過駅になってしまった。定期列車時代の使用車両はJR東海373系で長良川の鵜飼いのヘッドマークが付いていた。かつて「大垣夜行」と呼ばれた列車が1996年3月のダイヤ改正で「ムーンライトながら」となり、それまで単に「ムーンライト」だった新宿〜村上(当時)を結ぶ夜行列車が「ムーンライトえちご」を名乗るようになった。そして2009年3月14日のダイヤ改正で「ながら」も「えちご」も同時に臨時列車化された。
そんな「ムーンライトながら」の前身である「大垣夜行」に初めて乗ったのは、前回の記事にも書いた近所のお兄さんに連れて行ってもらった、1988年8月の夏休みのこと。混み合う自由席に座るため、ずい分と早い時間から東京駅に並んだのを覚えている。次々と発車していくブルートレイン、臨時の寝台特急「あさかぜ」はまだ20系客車が使われていて、車内を覗いては遙か旅路に想いを馳せたっけ。
大垣夜行の165系は向かい合わせのボックスシートだったけれど、確か戸袋窓がある車端部だけ2人掛けになっていて、お兄さんはそこの窓側に座らせてくれた。途中、深夜の静岡駅では駅弁が売っていて、それは東海軒の「幕の内弁当」だったと思う。それとプラスチック容器に入ったお茶を1本買って駅弁は半分ずつ食べた。もちろんそんな時間まで起きていたこともなかったし、ましてや何かを食べるなんて初めてのことで、とびきり美味しかったな。で、やっぱり食べ物の記憶のほうが鮮明だ。
中学、高校と、ひとり旅をするようになってからも、西日本方面へ出かけた際は、旅の始まりは大垣夜行がほとんどだった。学生の頃には「ムーンライト」になっていたけれど、多客期にはもう一本走っていた臨時列車とともに変わらず利用して、そのまま乗り継いで四国や山陰地方を経巡ったり、九州は鹿児島まで行ったりした。こんなことができたのも若さだったんだなぁ、とつくづく思ったりするのは、もう若くないからだろうか…。実に悩ましい問題である (笑)
その後、しばらくは乗る機会がなくて、久しぶりに乗った「ムーンライトながら」。途中まで隣人が居らずのんびり呑み続けていたのだが、沼津から静岡までとても派手な格好のお姉さんが隣席に。列車は全車指定席だけど慣れたように車掌さんから指定券を買う様子は、普段からそうやって乗っていたのかも知れない。いろんな人が居ていろんな人生を歩んでる、と書けば大袈裟だけど、そうした縮図のようなものが垣間見れた夜行普通列車。それも毎日走っていたからこその光景だったのだと思う。そんな「ムーンライトながら」も臨時列車となってしまった今、大垣夜行の記憶はいよいよ遠くなる。またひとつ思い出の列車が増えてしまった気がする今日この頃なのだ。
(2009年1月撮影)
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思ひ出ぽろぽろ、とか何だかそういう年ごろのやうです。急速なオヤジ化に困惑している今日この頃です…はい。