青函連絡船
2011/09/30 18:18, Posted in Panorama, 東日本エリア by s.sakai – Be the first to commentクリックすると360度パノラマが表示されます (iOS対応) ↑
東京お台場「船の科学館」で1996年から展示されていた青函連絡船「羊蹄丸」。2011年9月30日をもって老朽化した本館(“宗谷”奥の建物)の展示を休止することになり、羊蹄丸は保存展示の終了が告げられた(公開終了後は無償譲渡される予定)。羊蹄丸の中を見学すると、予想以上に大きく改装されてしまった内装が何とも残念で、博物館の展示施設としては内外装が当時のまま残されている「宗谷」の方が興味深かった。暑い夏の日、本館→羊蹄丸→宗谷の順にじっくり見学して回ったらヘトヘトに疲れてしまった(笑)。閉館時間の後、日も暮れかけてきたところで一枚。歴史ある2隻が静かに輝いていた。
(2011年8月撮影)
当時と同じ青森駅の連絡船乗り場で展示されている青函連絡船「八甲田丸」

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青森桟橋の跡地には車両搬入口の可動橋と引き込み線の一部が保存され、駅と連絡船を結んでいた跨線橋も残っている。整備された公園内と「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」、背後の青森ベイブリッジが見渡せる場所に「青函連絡船戦没者の碑」があり、その近くで撮影することにした。1945年7月と8月の空襲で青森、函館湾内、および津軽海峡で攻撃を受けた青函連絡船は壊滅状態となり数多くの犠牲者が出た。碑には1945年7月14日「翔鳳丸」が爆撃される写真と津軽海峡の地図に連絡船が沈没、座礁した地点が書かれている。また戦後の1954年には台風15号の暴風雨と大波で「洞爺丸」ほか4隻が座礁転覆、沈没し、あわせて1400名を越える犠牲者を出した海難事故が起きた。これが洞爺丸台風(洞爺丸事故)で、青函トンネル着工が推進される契機ともなった。その後、青函トンネルは1988年3月13日に開通、同時に青函連絡船は80年の歴史に幕を下ろした。青森発下り最終便は八甲田丸、函館発上り最終便が羊蹄丸であった。
(2008年9月撮影)
